天職という言葉を聞いた時、あなたは、どう感じるだろうか。いま自分のやっている仕事が、飯を食うために、不本意ながら、いやいや、やっているのであれば、それは天職ではない。逆に、楽しくて充実していて、幸せを感じながら、やっている仕事であれば、それは天職と呼べるのかも知れない。だが、周りを見渡してほしい。そのような天職に恵まれて仕事をしている人が何人いるだろうか。天職に辿りつけないまま一生を終える人のほうが、圧倒的に多いはずだ。だが、ものは考えようで、それが天職という大げさな名前ではなくても、自分の人生を形作ってきたその仕事に誇りさえ持てれば、本来は、それが仕事の本質であり、本人や社会にとっても、いちばんいいのだ。
むかしは身分制度というものがあって、人は生まれた時に職業が決められていた。インドでは、まだカースト制度が根強く残っているが、日本は江戸時代から士農工商というわかりやすい制度のほかに、もっと細分化された職業の世襲制があった。百姓の息子は百姓、畳屋の息子は畳屋といった具合に、なんら疑いを挟む余地などなかった。ただ、原則としてその家の長男が世襲することになるわけで、それでは次男や三男の立場はどうなるのか。それを解消する対策として、養子縁組や丁稚奉公という仕組みは、なかなか良く考えられているのではなかろうか。