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人生の秘密

こころの理

生きるとは、どういうことか?生き物として、生命を維持するだけなら、食って、寝て、セックスして、本能の赴くままに生きればいい。でも、動物と同じように、本能のまま、欲望に従って生きることは、人間として生きることとは違う。生きる、というシンプルな言葉に向き合う。ぼくは、ぼくを生きているか。あなたは、あなたを生きているか。そもそも、なぜ、ぼくは、人間として、この地球に生まれて、人生を送っているのか。この人生には、どんな意味があるのだろうか。民間信仰では、人生の意味を問うとき、この現世だけでは答えが見つからず、前世や因縁といった方便を持ち出して説明することが多い。それは答えを知りたがっている人間にとっては口当たりの良い処方箋だ。しかし、いま、生きているこの現世を、どう生き抜いていくのか。そこから目を背けてはいけない。

ぼくは、人生を、自分のものとして受け止めてきたのだろうか。こんなに辛い、悲しい、絶望的な生を歩んでいくなんて、想像もしていなかった。当たり前の人生というものがあって、普通の幸せがあって、それを成就することは、誰にでもできるんだと思っていた。それが、ぼくには、できなかった。オセロゲームの終盤、自分の白が一挙に黒に代わってしまった。それは怖い体験だった。ぼくの人生が無意味だと宣告された。無意味な人生とは、自分の人生を歩んでいなかったから。自分を手放していたから。さて、問題。手放した自分とは、どんな自分なんだ。手放したくなるような自分しかいなかったのではないか。いやいや、そうだとしても、手放すべきではなかった。自問自答。堂々巡りの考え。だから、どうするんだよ。手放した自分をもう一度つかんで、そこから、生きなおすしかないではないか。

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