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小説家という職業

こころの理
DariuszSankowski / Pixabay

世の中に小説家と呼ばれ、その執筆料や印税だけで飯を食っている人は何人くらいいるのだろうか。おそらく100人くらいはいるかもしれないが、どうだろうか。著述のジャンルを広げて、エッセイや評論、成功哲学とか、いろいろな作家の数に比して、小説だけで食える人はかなりパーセンテージが少ないのではないか。芥川賞なんて、とったところで、それから作家として生きていけてる人はひと握りのように思える。直木賞の場合は、売れるということが前提にあるから、まだ食っていけそうだ。いわゆる純文学的なアプローチの小説を書いていて、それで飯を食っていくのは至難の技のように思える。なぜ、こんなことを書き始めたかというと、むかし、小説家を目指したことがあるからだ。いま、それになっていないのは、あることをきっかけに、挫折してしまったから。でも、その時ほんとに「やる気」があれば、やっていただろうと思う。

夢枕獏という作家の「書く技術」というエッセイを読んでいたら、こんな言葉が飛び込んできた。

「やる気」があるから「やる」のではなく、「やる」から「やる気」が出てくるんですね。これは書くことに限らず、何かを長く続けていくには必要な姿勢ではないかと思います。

そう、ここで「やる気」とは、覚悟と言い換えてもいいかもしれない。とにかく、四の五の言わずに、やるしかないという覚悟があれば、地道な努力を積み重ねていける。それによって、夢や目標は近づいてくるはずだ。夢や目標? それは今の自分ではないゴールの形をどれだけ描けるかだ。

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